ミニマリストと聞いて、どんな人を思い浮かべますか?
物を極端に減らして、
ガランとした部屋の中で不自由な生活を楽しむヘンタイな人?
……うーん、私はちょっと違うと思っています。
ネットで調べると、
「モノを最小限に減らして暮らす人」
だいたいそんなふうに説明されていることが多いですよね。
まぁ、ザックリ言えば間違ってはいないのかもしれません。
でも、私にとってのミニマリストは、それだけではありません。
ミニマリストという考え方に出会ってから、私は——
- 過去や未来に振り回されず、「今」を感じられるようになった
- 自分の嫌なことを理解して、それを避けてもいいと思えるようになった
- 好きなことが少しずつ見えてきて、暮らしが楽しくなった
- あえて空白の時間をつくれるようになった
- 見栄や意地、周りの価値観に流されず、生きるのが少し楽になった
そして気づけば、
「ミニマリストである自分」を、前よりも好きでいられるようになっていました。
私は、これだけのメリットがあると思っています。
ミニマリストを知らなかった私の、辛い日々
私は小さい頃から、
「友達と少し感覚が違うな……」
そう感じることがよくありました。
その感覚を、仲間はずれにされないようにと押し殺して、いつも周りに合わせて生きてきました。
そうしているうちに、人の表情ばかり伺って、言葉尻をすごく気にする超ブレブレの繊細人間になっていました。
心はとても疲れていたし、毎日、見えない何かと戦っているようで苦しかったです。
そりゃ、自己肯定感もどんどん下がっていきます。
ある友達に
「なんかmoiは薄いピンクのイメージがある」
と言われれば、その言葉を鵜呑みにして、持ち物も着る服も、薄いピンクばかりにしてみたり。
人の言葉に流されて、コロコロと趣向の変わる、芯のない人間になっていました。
一方で、私はコレクター気質でもありました。
旅行に行くたびに拾った貝殻、お店でもらったショップカード。
何でもかんでも思考停止で集めて、部屋の中はいつもごちゃごちゃ。
ファッションも自分の軸がないから、いろいろなテイストの服を買いあさっては散財。
「友達は多い方がいい」という、どこで植え付けられたのかわからない価値観を守って、好きじゃない人とも、気が乗らない集まりにも、嫌だなぁと思いながら参加していました。
正直に言うと、人生、とてもつまらなかったです。
話は少し飛びますが、私はとうとう、鬱になってしまいました。
心が限界だった頃
「生きるのが痛い」
毎日毎日、そう思っていました。
自分を押し殺して生活していると、頭の3メートルくらい上に、もう一人の自分がいて、悲しい顔でこちらを見下ろしているような感覚がありました。
その頃、部屋を片づけるという概念は、私の中にはひとつもありませんでした。
モノを増やすことで、今にもくじけ折れそうな自分を、なんとか支えようとしていたのだと思います。
でも、モノを買っても買っても、幸せにはなりませんでした。
お金を払う、その瞬間が、気持ちの高揚のピーク。
——何がしたいの?
気づけば、テイストの違う小物たちで埋め尽くされた部屋。
交友関係もぐちゃぐちゃでした。
表面上仲良くしても、その関係はすぐに終わってしまう。
心からの友達なんて、ほとんどいなかったのだと思います。
本当の自分も嫌い。
でも、偽りの自分も、好きになれない。
寂しがり屋なのに、人と会う気にもなれない。
気づけば私は、ごちゃごちゃの部屋の中で、ひとり、苦しんでいました。
そんなとき、私は「ミニマリスト」という考え方に出会いました。
救われるとは、その時はまだ思っていませんでした。
ミニマリストとの出会い
あるとき、こんまりさんの著書
「人生がときめく片づけの魔法」を読み、“ときめくモノだけを残す”という考え方に、とても感銘を受けました。
そうして、お部屋の片付けに没頭する日々が始まりました。
でも、片付けても片付けても、目をこすって二度見しても、一向に部屋は片付いていません。
——なんでだろう。
そもそも、“ときめく”って何だろう?
そう疑問に思い始めました。
そこで、色々なYouTubeを見漁って、Minimalist Takeruさんのチャンネルにたどり着きました。
難病で無職になり、貯金ゼロ・借金生活のどん底から、所有物の99%を捨てて人生をリセット。
ミニマリスト生活を始めた結果、大きく人生を変えた人です。
その時、「ミニマリスト」というものを知りました。
そしてミニマリストYouTuberの動画をたくさん見て、ミニマリストのすごさに気づいたのです。
そのとき、ミニマリスト思考はモノだけの話じゃないという気づきが、とても大きかったです。
ヒトもミニマルに。
あぁ、もう自分が付き合っていて嫌だなと思う人と、無理に付き合う必要はないんだ——
そう思った瞬間、肩の荷がふっと降りて、軽くなったのを今でも覚えています。
モノも、人にどう見られるかなんて気にする必要はない。
人が持っているから自分も持たなきゃ、なんて思考が、そもそも違っていたんだ。
まるで自分の身体を蝕むように縛り付けていた木のつるが、どんどんほどけていく感覚。
解放された感覚。
そこからです。
私は、ミニマリストを目指して行動を起こすようになりました。
ミニマリストって、簡単じゃない
さて、じゃあまずはモノを減らそう。
そう意気込んで、部屋中に目を光らせ、捨てるモノを探す日々が始まりました。
でも、なかなか捨てるものが見つかりません。
ミニマリストの思考は、もう身についている。
憧れもある。
それなのに、一向にモノを減らすことができませんでした。
そもそも、自分の「好き」が分からなかったのです。
モノを手に取り、じっと見てみると、どれもなんだか良いものに見えてくる。
はぁ……ダメだ。
目の前にあるのは、マキシマリストの部屋。
誰の部屋?
……自称ミニマリストを名乗る、私の部屋です。
まだまだ、モノへの執着から離れられない。
そう実感しました。
そんなとき、なんとなく始めたのが「楽天ROOM」でした。
自分がいいなと思うモノをリスト化して、それを見て誰かが購入してくれると、少しだけ報酬がもらえる仕組み。
なぜかそれにハマって、続けているうちに、ひとつの発見がありました。
自分のリストを見返してみると——
あれ?
黒やカーキばかり選んでいる。
あれ?
シンプルで、機能的なモノが多い。
可愛らしいものより、どこか渋い雰囲気のものを選んでいる。
……そうか。
これが、自分の「好き」なんだ。
おおよそ30年間生きてきて、私は初めて、自分の「好き」を知りました。
ミニマリストが、人生を救ってくれた理由

自分の「好き」がわかってくると、面白いものです。
そんなこと?と思われるかもしれません。
でも、本当に——見える世界が変わるんです。
なんだか、ワクワクする。
常に、自分の「好き」にアンテナを張って過ごす日常は、とても新鮮で、楽しいものでした。
買い物に行っても、
「これは私の好きじゃない」
それが分かるようになっただけで、無駄な買い物は自然と減っていきました。
人との付き合いも同じです。
「あぁ、この人いいなぁ」と思える人と過ごす時間は、とても心地よくて、楽しい。
それに、人と違っていたっていい。
私は、私の感覚を主軸に生きていく。
そう肝に銘じたとき、不思議と自信のようなものも湧いてきました。
世間の流行に無理に流されることなく、自分が「いいな」と思ったものだけを取り入れて、ミニマルに生きていく。
ここからが、ミニマリストとして生きる私のスタートです。
まずは、自分のキャパシティを知ること。
キャパ以上のモノ、ヒト、コトを抱え込まないこと。
ミニマリストの暮らしの中で得た気づきを、これから少しずつ、記事にしていきたいと思います。
あ、ちなみに。
まだまだ部屋は「ザ・ミニマリスト」ではありません。
でも、完璧になったら伸びしろがなくなるので、それでいいと思っています。
もう、ごちゃごちゃの部屋で、ひとり孤独に生きるのはやめませんか?
一緒に、ミニマリスト思考、始めてみませんか。


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