静岡県三島市周辺で愛犬と遊べるところを探していませんか?
今回は、三島周辺で愛犬が喜ぶおすすめのスポット「山中城跡」をご紹介します。
愛犬の茶々が、1番喜ぶ場所です♪
山中城は、箱根西麓の尾根上に築城された山城です。
日本百名城の1つなので、お城巡りが好きな方は、一度は行っておきたいスポットではないでしょうか。
そんな「山中城跡」は、犬のお散歩にちょうどよい場所なんです。
愛犬と一緒にお弁当を持ってハイキングに行きませんか?
基本データ
名称 | 山中城跡公園 |
住所 | 〒411-0011 静岡県三島市山中新田410-4 |
TEL | 055-985-2970 |
案内所・売店 営業時間 | 10:00-16:00 (12月〜2月:10:30-15:30) |
案内所・売店 定休日 | 月曜日・年末年始 |
入場料 | 無料(入場自由) |
駐車場 | 無料駐車場あり(9:00-17:00) |
山中城跡の駐車場
山中城跡には、道路をはさんで両側に無料の専用駐車場があります。
坂を登って左手の駐車場の方が広いため、停めるにはおすすめです。
普通車40台、大型バス10台が停められます。
売店に売っているもの
山中城跡にはちょっとしたお食事のできる売店があります。
メニューは、
・カレーライス
・おにぎり
・かき揚げ丼
・そば
・うどん
など色々あります。
中でも珍しいのが「寒ざらしだんご」。
SBSでも放映された昔ながらのお団子です♪
売店に立ち寄る際は、寒ざらし団子をチェックしてみてください。
山中城跡はピクニックがおすすめ
山中城跡は、ピクニックをするのも楽しい場所です。
私はよく、レジャーシートを持っていき、お弁当を食べます。
食べた後、ゴロンと仰向けになり青空に浮かぶ飛行機雲を眺めたものです。
レジャーシートを敷くのにオススメの場所は、「すり鉢曲輪見張台」。
すり鉢曲輪見張台はとても眺めが良いです。
晴れていると、富士山もきれいに見え、三島や沼津の街から韮山城まで望めます。
2022年8月にオープンしたアスレチックタワー「ドラゴンキャッスル」も見下ろせます。
レジャーシートがない場合は、東屋(あずまや)でお弁当を食べることもできますよ。
山中城跡は犬が喜ぶスポット
山中城跡は、ところどころに広大な芝生があります。
芝生は犬が大好きな場所ですよね。
人がいない時は、愛犬を芝生で走り回らせることができます。
愛犬 茶々は、いつも新幹線のように全速力で走って嬉しそうです♪
※人が来たら必ずリードをつけて、フンの後始末はしっかりしましょう
行く前に予備知識を!山中城の悲しい歴史を知っておこう
山中城跡は、北条氏の悲しい歴史があります。
それは、北条氏と豊臣秀吉の戦いにまつわるストーリーです。
知っておくと山中城跡に行ったときに見方が変わるのでおさえておくとよいでしょう。
予備知識をつけてから行くと、面白さが倍増しますよ♪
北条氏は、小田原にある城を本拠地としていました。
その小田原を敵から防ぎ守るために、永禄年間(1558-1570)、山中城を築城しました。
山中城は、箱根山西麓の標高580mに位置し、地形が険しく、敵を防ぐのに適した場所でした。
そのため、北条氏にとって西方防備の拠点としてとても重要視されていました。
天正17年(1589)、豊臣秀吉の小田原攻めに備え、急いで西ノ丸や出丸などの増築が始まりました。
しかし、その1年後の天正18年(1590)3月、約17倍の人数の豊臣秀吉の圧倒的大軍に包囲されました。
そして、わずか半日で城を攻め落とされてしまったのです。
山中城は、北条氏にとって悲劇の起こった山城でした。
山中城を学ぶ「戦国山城探索コース」
三島市では昭和48年から発掘調査を行い、全ての曲輪の全面発掘に踏み切り、山城の全容がほぼ明らかになりました。
障子堀(しょうじぼり)や畝堀(うねぼり)は、水のない空堀(からぼり)の底に畝を残し、敵兵の行動を阻害するという、北条流築城術の特徴を示すものとして注目されています。
三ノ丸跡(さんのまるあと)の宗閑寺(そうかんじ)境内には、岱崎出丸で戦死した、北条軍の城主松田康長(まつだやすなが)をはじめ、副将の間宮康俊(まみややすとし)、豊臣軍の一柳直末など両軍の武将が眠っています。
- 出丸(でまる)・・・本城から張り出した形に築かれた小城
- 曲輪(くるわ)・・・城の内外を土塁・石垣・堀などで区画した区域の名称
- 障子堀(しょうじぼり)・・・内部を畝(うね)状に掘り残して、堀底を区切っている堀のこと
- 畝堀(うねぼり)・・・空堀の底に土手を掘って、直交に区画した堀のこと
岱崎出丸(だいさきでまる)
岱崎出丸は、標高547m-557m、面積2万4千㎡におよぶ広い曲輪です。
地名の岱崎(だいさき)をとり、岱崎城と呼ばれることもあります。
豊臣秀吉の小田原城征伐に備えて、各曲輪の修築と共に、この出丸の増築を始めましたが、短期間のため完成できませんでした。
この出丸を守ったのは、副将間宮豊前守康俊(まみやぶぜんかみやすとし)といわれ、壮絶な戦闘を繰り広げ、全員が討死したと伝えられています。
岱崎出丸「一の堀」
一の堀は、出丸全域を鉢巻のようにめぐるのではなく、先端のすり鉢曲輪から西側の中腹を箱根旧道街の空堀まで続くものです。
堀底からすり鉢曲輪の土塁までは、斜距離18〜20m前後の急峻な勾配になっていますり
すり鉢曲輪
山中城出丸の最先端を防備する重要な位置にある曲輪です。
そのためか、曲輪の構築方法も、本丸側の曲輪とは全く異なっています。
中央部を凹ませて低くし、中心からゆるやかな傾斜で始まり、途中から傾斜を強めて土塁の頂部に達しています。
上方から見た様子が、すり鉢によく似ていることから通称「すり鉢ぐるわ」と呼ばれています。
この曲輪への虎口(入り口)は南に作られていますが、さらに東側に接続して、幅8mの長方形の曲輪が作られており、防備のための「武者だまり」と推定されています。
- 虎口(こぐち)・・・中世以降の城郭における出入り口のこと
- 武者だまり(むしゃだまり)・・・軍勢の集合用に、城門の近くに設けられた広場
すり鉢曲輪見張台とは?
出丸の先端に位置するこの見張台は、土塁上の一角をやや拡げて、土塁と兼用させたものです。
すり鉢曲輪南側の樹木を低くすることにより、三島・沼津方面から韮山城まで眺望できるようにしています。
見張台直下北側の平坦な部分が堀の跡で、とても傾斜角が強く、この堀底から見張台までは8m以上もあり、武具をつけた敵がよじ登ることは不可能な状況が見受けられます。
出丸御馬場(おんばば)跡
ここは、古くから御馬場跡と伝承され、土塁で東側と北側を守り、西側は深い空堀に続き、南側は急峻な谷で囲まれた岱崎出丸最大の曲輪です。
曲輪内は、二段構築で作られています。
土塁上からは田方平野を見渡すことができ、出丸防衛上の拠点であったものと推定できます。
- 御馬場(おばば)・・・乗馬の練習や競馬などをする平らな広場
- 土塁(どるい)・・・敵や動物などの侵入を防ぐために築かれた、主に盛土による堤防状の防壁
出丸御馬場堀とは?
堀内に畝が検出されたことから、畝堀であったと考えられます。
畝の高さは、堀底から約2m、頂部の幅0.6m、馬の背のように丸みを帯び、堀を遮るように堀の方向に直角に造り出し、ローム層を台形に掘り残して造られたものです。
畝の傾斜度は50度〜60度の急峻で、平均した堀底の幅は約2m、堀底から曲輪までの高さは、平均9mにも及びます。
- ローム層・・・土壌区分の1つで粘質の高い土壌の地層である。シルト及び粘土の含有割合が25%-40%程度のもの
御馬場北堀
御馬場の北の部分はここの帯曲輪で堀留めとなっています。
西堀と対をなすかのように、堀の上幅8mの北堀が検出されました。
この堀は北に延び、すり鉢曲輪から出丸の中腹をめぐる堀と直交するのではないかと推定されます。
御馬場の西堀と北堀の両者で、出丸の尾根を二分しようとする戦略上の意図が察知できる堀です。
構築途中の曲輪跡
東側(上記写真の右側)は御馬場曲輪西堀の堀を掘った時に出たブロック状のロームにより小高い丘のように造られ、北側には土塁が積まれています。
遺構らしいものはそれだけですが、尾根を削り成形しながらここに曲輪を構築すべく工事を急いだ様子が伺えます。
しかし、時間的に間に合わず、そのまま工事の途中で戦闘に突入したのでしょう。
ここの整備にあたっては、当時の緩やかな西側への下り傾斜を再現し、構築途中の様子がしのばれるよう配慮されています。
終わりに:山中城跡へ犬を連れてハイキングに行こう
今回は、山中城跡についてご紹介しました。
山中城跡のチェックポイントは以下の通り。
- 売店の「寒ざらし団子」を食べてみよう
- レジャーシートと弁当を持ってピクニックしよう
- 広大な芝生で犬と遊ぼう
- 北条氏の悲しい歴史に触れよう
皆さんの参考になれば幸いです★
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