【静岡県 駿東郡】鎌倉殿の13人ゆかりの地「対面石(たいめんせき)」を散策

旅行・アウトドア

皆さん2022年NHK大河ドラマの「鎌倉殿の13人」は観ていましたか?

三谷幸喜が脚本をしているので、面白いに違いない!ということで、遅ればせながら最近私も観始めました。

「鎌倉殿の13人」第9話で、源頼朝(大泉洋さん)の挙兵支援のために、はるばる奥州より弟の義経(菅田将暉さん)が駆けつけて、涙の再会を果したシーン

memo
挙兵(きょへい) : 兵を集めて戦いを起こすこと
奥州(おうしゅう) : 現在の岩手・福島・宮城・青森4県と秋田の一部にあたる。別名、陸奥国。

再会の場所が、静岡県駿東郡にある八幡神社です。

この時、八幡神社の一角で2人が腰掛けた2つの石が「対面石(たいめんせき)」として残されています。

今回は、この「対面石」についてご紹介します。

moi
moi

魅力溢れる「鎌倉殿の13人」ゆかりの地を訪れましょう。

スポンサーリンク

「対面石」どこにある?

対面石は、静岡県駿東郡にある八幡神社の一角にあります。

住所

〒411-0906

静岡県駿東郡清水町八幡39番地

宮司自宅TEL

055-986-2459

バスでのアクセス

東海バス「対面石入口」バス停下車後すぐ参道

伊豆箱根バス「静岡医療センター入口」バス停下車後すぐ参道

電車と徒歩でのアクセス

JR「大岡」駅から徒歩24分

「八幡神社」に駐車場はある?

無料の駐車場中鳥居の前にあります。

常時無休で開放されているので、車でもアクセスしやすい神社です。

スポンサーリンク

対面石のある八幡神社を散策しよう

境内散策の所要時間は約20分です。

正面大鳥居

バス停「医療センター入口」駅、目の前が「正面大鳥居」です。

今は、ロープが張っていて、大鳥居をくぐることはできないようです。

moi
moi

くぐれないのは残念でした。

参道

正面大鳥居をくぐると、約200mの参道があります。

この参道と公道との間は、桜の木が植えられていて、春の満開の時期にはとても美しい景観になるそうです。

春にまた訪れたいですね。

参勤交代の大名や旅人はこの桜を見て何を思ったのでしょうか。

そんなことに想いを馳せながら、歩いていきます。

桜の木の根元には、さつきやつつじも植えられています。

中鳥居

参道の先に「中鳥居」見えます。

中鳥居の先に視線をやると、神聖な雰囲気がすでに感じられます。

太鼓橋(たいこばし)

中鳥居をくぐると存在感を放つのが「太鼓橋(たいこばし)」

大人になっても、太鼓橋ってなんだかテンション上がります。

橋の下は、源平池のあった小川が流れています。

こういったせせらぎを楽しめるのが、この地域の良いところです。

とても趣のある小川です。

境内へと入る

太鼓橋を渡り終えると、境内の鬱蒼とした神域に入ります。

空気がスッと変わるのは、気のせいでしょうか。

元禄や弘化年間に奉納された古い石燈篭があります。

そのまま歩みを進めていきます。

白旗社(しらはたしゃ)

境内をしばらく行くと、左手に入る小道があります。

それを辿ると小さな祠(ほこら)があります。

これが、頼朝公を祀った「白旗社(しらはたしゃ)」です。

手水舎(てみずや)

表参道に出ると「手水舎てみずやがあります。

参拝者が身と心を清める場所です。

この水は、東洋一を誇る柿田川の湧水を引いたもので、ここで手水(ちょうず)を使うとご利益があると伝えられています。

memo
手水(ちょうず)を使う…手や顔などを洗い清めること

“対面石の見学は、本殿のお参り後“との看板があります。

なので、まずは本殿へお参りをしに向かいましょう。

本殿

いよいよ「本殿」のお参りです。

唐破風(からはふ)の向拝(ごはい)の下でお参りすると清々しい心地がします。

memo
・唐破風(からはふ)…日本の城郭建築などにみられる頭部に丸みをつけて造形した屋根の妻側の造形のこと
・妻側…屋根を見たときに、屋根勾配を横から見て三角になっている部分のこと

なんとこの扉、自動ドアになっています。現代的な部分を感じる面白い造りですね。

近づくと自動で扉が開きます。

お賽銭箱の上には、1回100円のおみくじ自由にもらえる対面石の説明書が置いてあります。

この拝殿は、頼朝公の再建820年を記念して、平成4年の秋に完成したものです。

約20坪の拝殿の奥に総けやき造りのご本殿があります。

対面石(たいめんせき)

いよいよメインです。

社殿を左に沿って進むと、「対面石(たいめんせき)」があります。

ここで、頼朝義経兄弟が涙の対面をし、この石に共に座って平家の打倒を誓い合ったと伝えられています。

治承4年(1180年)10月、平家の軍勢が富士川の辺りまで押し寄せて来た時に、

鎌倉にあった源頼朝はこの地に出陣しました。

たまたま、奥州から駆けつけた弟の義経(よしつね)と対面し、源氏再興の苦心を語り合い、昔のことを懐かしく思いながら涙にくれたそうです。

この対面の時に、兄弟が腰かけた2つの石を「対面石」といいます。

また、この時頼朝が柿の実を食べようとしたところ、渋柿だったのでねじって傍らに捨てました

すると、後に芽を出し、2本の立派な柿の木に成長し、この2本は幹をからませねじりあっていたので、

いつしか「ねじり柿」と土地の人は呼ぶようになったそうです。

御末社と東鳥居

社殿を右に沿って進むと、「末社」「東鳥居」があります。

トイレと社務所もあります。

東鳥居の真ん前には、巨大なクスノキがそびえ立っていました。

大迫力の大木で、これもまた見応えがあります。

樹齢何年でしょうか。かなり歴史がありそうです。

御随神(ごずいしん)

社殿の前から左を見ると、30mほど先に台座にのった石の固まりが見えます。

これは、東海道が箱根越へになる以前の参道にあり、大神さまを守護した「御髄神(ごずいしん)」“奇石窓神(くしいわまどのかみ)・豊石窓神(とよいわまどのかみ)”です。

鎌倉時代に作られたといわれています。

「八幡神社」御祭神と御神徳は?

御祭神

「誉田別命(ほんだわけのみこと)」(応神天皇(おうじんてんのう))

相殿には、

  • 比売神(ひめがみ)
  • 御母の息長足姫命(おきながたらしひめのみこと”

合わせて3神をお祀りしています。

この御祭神の御宇(みよ)は、阿治岐王仁(あちきのわに)による漢字の伝来・新羅、百済より縫工、織工、鍛冶工・船匠など工芸技術を身に付けた人々の帰化・中国より高度な養蚕、紡績の術などが伝えられました。

御神徳

  • 学問振興
  • 産業開発
  • 工業・農業の守護神として商売繁盛
  • 家運
  • 社運隆昌(しゃうんりゅうしょう)

さらには、東海道守護の神、街(ちまた)の神として、以下の御神徳もあります。

  • 交通安全
  • 寄り来る禍神(まがかみ)・悪神を祓い除ける神
  • 厄除
  • 方除

「八幡神社」御由緒

治承4年(1180年)8月
平家追い討ちの軍を起こした源頼朝公は、関東・伊豆を平定しました。

memo
平定 : 討ちたいらげてその地域に自分の勢力が及ぶようにすること

治承4年(1180年)10月
富士川の合戦のため、この黄瀬川八幡の地に本営を造営しました。
兄頼朝の挙兵支援のため、はるばる奥州から駆けつけた弟義経と、境内にて涙ながらに対面し、平家打倒を誓い合いました。

以後
頼朝公は、社殿の再建、境内の整備を行い、今川・北条氏などは、諸役免除・禁制などをつけました。

天正19年(1591年)
徳川家康公は、これまで足柄越へであった東海道を箱根越へに改めたとき、西向きであった社殿を南向きにし、新しく長沢の地を割いて街道に面した参道を作りました。
社領20石(後に実高40石)を給し、八幡大菩薩と刻んだ御神刀をも奉納、天下太平を祈願しました。
また、駿河・伊豆両国境の神、街道守護の神として武門・武将はもとより往来の旅人、近郷近在の庶民に至るまであつい祟敬が寄せられました。

同8年
近代国家として出発した明治政府より、神社制度の改革が行われたとき、古代からの由緒沿革を元に、清水長泉両地域の郷社に列せられました。

終わりに : 鎌倉殿の13人 ゆかりの地「対面石」に行ってみよう

源頼朝・義経兄弟の涙の再会をした場所である八幡神社の対面石。

鎌倉殿の13人を観た方は、印象に残っているシーンではないでしょうか。

静岡県駿東郡清水町にあるので、一度訪れてみてはいかがでしょうか。

ゆっくりと流れる時間の中で、歴史に想いを馳せてみてください。

皆さんの参考になれば幸いです★

コメント

タイトルとURLをコピーしました