【三島街歩き/初午ツアー】ふるさとガイドの会主催の無料ツアーが楽しい!

旅行・アウトドア

静岡県三島市は、街歩きが楽しい街です。

今回は、2023年のふるさとガイドの会主催の新春開運初午ツアーに参加してきました。

稲荷神社を周りながら、三島の街の豆知識も織り交ぜられた楽しいツアーでした。

今回は、そんな予約なしで無料で楽しめるお得なツアーをご紹介します。

2024年は2月12日(月・祝日)にありました。

三島市ふるさとガイドの会 2024年 初午ツアー参加者募集三島市
三島市ふるさとガイドの会 2024年 初午ツアー参加者募集
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参加費無料で、予約なしで参加できますよ♪

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初午ツアーで回る稲荷社

今回は、赤線のコース約2時間かけて歩きました。

回った稲荷社は以下の通り。

①京屋燃料店(豊川稲荷)
②田福寺跡(開運稲荷)
③誓願寺(傷守稲荷)
④市役所北東角(陣屋稲荷)
⑤河辺会計事務所(高村稲荷)
⑥岡部旗店(長久稲荷)
⑦栗原歯科(伏見稲荷)
⑧三島プラザホテル(縁結び稲荷)
⑨三石神社(火防三石稲荷)
⑩下田家(笠間稲荷)
⑪吉川建設(正一位稲荷)
⑫渡辺商会(勧請稲荷)
⑬弘電社裏(金勝稲荷)

※一部、ツアーでしか入れない場所もありました

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三島街歩き!初午ツアー2時間コース

それでは、実際に2時間かけて歩いた初午ツアーのコースをご紹介します。

スタートは三嶋大社

ツアーは、三嶋大社から出発します。

三嶋大社で集合し、6人に1人くらい担当のガイドさんが付いてくれます。

「三島といえば?」と聞かれたら、「三嶋大社」と答えたくなるほど、三嶋大社は三島市民の誇りですよね。

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三嶋大社だけでもかなり見所のたくさんある大きな神社ですよ♪

インスタ映え!看板建築の建物

見た目がとても可愛らしいこの建物。

これは看板建築といわれる建築様式の1つです。

看板建築は、関東大震災のあとの昭和初期に、商店を建てるときに流行しました。

銅板やモルタルなど燃えにくい素材を使って防火対策を施しました。正面部分は、平らに立ち上がりさまざまな装飾がされています。

それが一枚の看板のように見えることから看板建築と呼ばれています。

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見た目がレトロでとても可愛いですよね♪

知る人ぞ知る豆知識!「南の見付け跡」

見付けとは、城門のことで通行人を見張る番兵を置いていました。宿場の出入り口にもあり、見張りがいました。

ここは、三島宿の南見付けがあったといわれており、昔は橋がかかっていました。

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今は跡形もありませんが、昔の街並みを想像してみるととても面白いです。

①京屋燃料店(豊川稲荷)

京屋さんは、かつて京都の小間物(こまごまとした日用品)を取り扱っていたことから、屋号を京屋にしたそうです。

商売は、明治になってから始めましたが、お稲荷さん自体は江戸時代からありました。

元々は伏見稲荷でしたが、伏見はあまりにも遠すぎるため先代が豊川稲荷に換えたそうです。

②田福寺跡(開運稲荷)

昔はこの場所に田福寺がありました。しかしこの周辺にデパートができることになり、田福寺が1番に立ち退き、谷田へ移りました。

しかしながら、結局オイルショックがあり、デパートはできませんでした。

このお稲荷さんは、「金盛稲荷」とも呼ばれ、三島宿の商人や芸者たちが開運を祈り、狐の焼きものを奉納する慣わしがあったと伝えられています。

③誓願寺(傷守稲荷)

誓願寺は浄土宗のお寺です。

中に入ると、280体ほどの狐さんがいます。

このお稲荷さんには、茶吉尼天(ダキニテン)が祀られています。

ダキニテンは、死者の心臓や肝を食べる悪神とされていました。

当時、おしろいが流行っていましたが、おしろいの中には身体に悪い鉛が入っていたので、早くに命を落とされる人も多くいました。

ダキニテンは、悪いものを食べてくれるとお坊さんの中で伝わり、仏法を守る仏の1つとされるようになりました。

そうして、女郎衆が皮膚病の治療回復を祈るようになりました。

別名、傷守稲荷(かさもりいなり)と呼ばれているのもそれが由来といわれています。

誓願寺の外には、シンボルツリーの百合の木がそびえたっています。

5月の連休くらいにチューリップのような形をした花を咲かせます。

チューリップツリーと呼ばれていましたが、日本には馴染まなく、百合の木もしくはハンテンボク(葉の形が着物のハンテンにみえる)と呼ばれています。

④市役所北東角(陣屋稲荷)

江戸時代初期から中期にかけて三島代官所が置かれたところです。幕政改革により、韮山代官所と統合されたあと、「三島陣屋」とされ幕末まで運営されました。

昔、信濃屋という大店があり、あるとき店の小判が盗まれました。

代官所の厳しい捜査により、店の手代の仕業ということになりました。手代は無実を訴えましたが受け入れられず打ち首になりました。

何年か後に、盗まれたと思われた小判が見つかり、手代の無実を知ることになります。

代官所は、一堂を建て、手代の霊を慰めてこのお稲荷さんを創建したと伝えられています。

このお稲荷さんの側には、縁結びとして知られる凪の木が植えられています。

凪の木は、葉脈が縦にしか入っていないため、なかなかちぎれないという言い伝えがあります。

熱海の伊豆山神社で、頼朝に恋した北条政子が頼朝との恋が実るように凪の葉を鏡の下に置いて祈っていたそうです。

昔はあった!「笹屋」の今はなき稲荷

笹谷さんにも昔は稲荷がありましたが、今はなくなっています。

三島生まれの小出正吾文学碑

はま寿司の隣に何やら石碑があります。

これは、三島生まれの児童文学者、小出正吾の生誕記念として建てられた文学碑です。

「子供には子供の世界がある」と書かれています。

レトロ可愛い!「高橋綿店」の看板建築

寝装・寝具の高橋綿店さん、こちらも看板建築になっています。

レトロで可愛らしい建物です。

高校生がデザイン!商店街のお店の看板

大通りの商店街の各お店には、遠くからでも見えやすい飛び出た看板がついています。

そのお店に合った可愛いデザインの看板ですが、これは高校生がデザインしたものだそうです。

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1つ1つ見てみると個性的でとても面白いですよ♪

⑤河辺会計事務所(高村稲荷)

河辺会計事務所は、三島で第一号の公認会計士です。かつては紙店を営んでいました。

河辺さんの前は、高村さんが住んでいたことから、「高村稲荷」と呼ばれています。

朝鮮の通信使の宿泊場!「唐人町三番館」

朝鮮の通信士の下級官たちがここ一帯に宿泊していたことから、近年まで「唐人町」と呼ばれていました。

その名残りとして唯一残っているのが、この建物の「唐人町三番館」という文字です。

⑥岡部旗店(長久稲荷)

100年以上経っているといわれているお稲荷さん。祠の横にある大木は現店主の誕生記念樹のニッキの木です。

岡部さんはプロの写真家で、お店の1階には作品ギャラリーがあります。

⑦栗原歯科(伏見稲荷)

現当主は栗原家第14代であり、元は会津屋という屋号の造り酒屋でした。

おじいさんは静岡銀行中島支店の支店長。お父さんのときに、歯科医院を開業されました。

⑧三島プラザホテル(縁結び稲荷)

プラザホテルは、江戸時代の脇本陣「相撲屋」の跡地で、明治22年に開業した「ひしや旅館」がその前進です。

この神社は伏見稲荷で、縁結びや開運のご利益があります。

祠には、太鼓が見受けられますが、この太鼓を叩いた人が宝くじに当たったのだとか。

家光のために作られた御殿神社

三島プラザホテルを出てすぐに見られるこの神社は、家光が泊まるための御殿として作られました。

脇を流れる御殿川の名前の由来にもなっています。

間口の広さがわかる!樋口本陣跡

歩いていると、地面のタイルに何やら一部分が黒いタイルが。

これは、実は樋口本陣の間口がどこからどこまでかを示しているものです。

もう少し歩くとまた同じように黒いタイルが見つかります。

間口がここまでありますよという印ですがかなり広い間口であることがわかります。

ところで本陣とは、江戸時代五街道などの宿場に設けられた大名・公家・幕府役人などが宿泊した施設のことです。

三島の宿には、樋口本陣、そして道をはさんで北側に世古本陣がありました。

⑨三石神社(火防三石稲荷)

元御殿川のほとりに三つ石という巨石があり、その上に社殿をしつらえ稲荷の神を祀り三石神社と唱えたと伝えられています。

西隣村の出火により、三島宿の大半が燃え移り焼けてしまった後に、火防の神も併せ祀りました。

神社内には、有名な「時の鐘」もあります。

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トイレもあるので、トイレ休憩も出来ますよ。

水辺の散歩道!四ノ宮川

四ノ宮川沿いを歩く細い散歩道。川のせせらぎと自然の緑を楽しめるオススメの道です。

まったり休憩できるスポット「中央水道跡公園」もあります。

中央水道跡はとても見応えがあります。

そして、旧中央水道水源も。

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ここは散策しがいのあるスポットですよ♪

⑩下田家(笠間稲荷)

下田家は日本画家「下田舜堂」画伯の実家です。

このお稲荷さんで注目すべきは、木彫りです。

可愛いカメの彫刻が確認できます。

⑪吉川建設(正一位稲荷)

吉川家は先代から建築業を営んでおり、昭和初期にはすでにこのお稲荷さんがあったそうです。

水車小屋が盛んだった!搗屋(つきや)の道

この道は、かつて水車小屋がたくさんありました。搗屋は水車小屋のことです。

芝本町一帯は湧水が豊富で、水路沿いに10軒ほどの水車小屋が設けられ、明治・大正期までは水車の力で米の精米、小麦の製粉などを請け負っていました。

明治末からは、電気の普及により次第に水車は姿を消していきました。今でも少し名残はあります。

散歩スポット!御殿川と赤橋

御殿川の川沿いも散歩にはとても良いスポットです。

存在感を放つ赤橋も必見です。

ここから鎌倉古道へとつながっています。鎌倉古道は、富士山が噴火して足柄道が塞がって通れなくなってしまったときに作られた道です。箱根を通ることができます。

⑫渡辺商会(勧請稲荷)

渡辺商会は、明治18年創業の商店・質屋で、家屋敷の構えは表通りから裏通りまでつながっています。

お稲荷さんは家の北側、枯山水の庭に祀られています。

また、この渡辺商会さんの南側、塀越しには後ろ側しか見えませんが、立派なお稲荷さんがあります。

元々蕎麦屋さんでしたが、閉店してしまい入ることができなくなってしまいました。

このお稲荷さんは、「寺尾稲荷」と呼ばれ、三島で最も古いお稲荷さんです。

⑬弘電社裏(金勝稲荷)

弘電社・野田家は江戸時代に足袋屋を営んでいました。

このお稲荷さんの祠は漆喰でできています。

三嶋大社に戻ってゴール!

見事13社のお稲荷さんを回って三嶋大社へと戻ってきました。お稲荷さんだけでなく、三島の街の色々な豆知識を身につけることができる楽しいツアーでした。

初午に関するQ&A

そもそも「初午」は、まだ馴染みのない方も多いのではないでしょうか。 

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初午について詳しくなりましょう♪

Q.そもそも初午(はつうま)とは?

初午は、2月の最初の午(うま)の日に行われるお祭りや風習のことをいいます。

午の日というのは、干支と同じ順番で12日に一度巡ってきます。

ではなぜ、2月の最初の午の日に、お祭りをするようになったのでしょうか。

突然ですが、倉稲魂命はご存じですか?

“うかのみたまのみこと”と読みます。

稲の精霊が神格化された穀物の神様です。

日本書紀のお話によると、奈良時代初期の2月11日に、倉稲魂命が京都の伏見山に降臨しました。

このことから、立春を過ぎて最初の午の日を初午として稲荷社を祀り、その年の五穀豊穣を祈願するようになったのだそうです。

倉稲魂命は、商売繁盛のご利益があるとされています。

Q.なぜ稲荷神社なのか?

稲荷神社のご神祭は、倉稲魂命です。

倉稲魂命は、稲を象徴する神様で、五穀をはじめ、すべての食物や養蚕を司っています。

稲が生じる・・・「稲生(な)り」が音便の変化で「イナリ」となり、倉稲魂命が稲を荷なっていたところから、「稲荷」の字を充てたといわれています。

稲荷神の神使がキツネなのはなぜ?

倉稲魂命は別名「御饌津神(みけつかみ)」とも呼ばれます。

み”ケツ“かみの「ケツ」は、キツネの古名でもあり、転換して「三狐神(みけつかみ)」の字を充てたことによります。

また、春から秋にかけて繁殖する狐の習性が、稲を初めとする農作物の豊作祈願の考え方に通ずるところから繋がっているという見方もあります。

神の使いとされる動物は、他の神社は、

大神神社 : 蛇
熊野神社 : 鳥
日吉神社 : 猿
八幡神社 : 鳩
春日神社 : 鹿
天神社 : 牛

稲荷神社は全国にいくつある?

稲荷神社は、全国に2万社もあります。(屋敷神社もいれると4、5万とも)

江戸時代には、戯れ歌で「江戸に多いもの、火事、喧嘩、伊勢屋、稲荷に犬の糞」と歌われるほどでした。

ちなみに、神社の数は稲荷神社が1位です。

1位 : 稲荷社 20,000社
2位 : 八幡社 15,000社
3社 : 天神社 10,000社
4位 : 諏訪神社 6,000社
5社 : 神明神社 5,000社

6位以降、熊野神社、春日神社、八坂神社、白山神社、住吉神社、日吉神社、金毘羅神社と続きます。

Q.稲荷寿司の由来は?

稲荷寿司は、狐の好物が油揚げだからという説が一般的です。

また、稲生り神(倉稲魂命)に供える具物として米俵を象徴したものからという説もあります。

4色の旗の意味とは?

初午では、4色の紙の旗を奉納し、神棚や祠に油揚げ、ご神酒、お赤飯などをお供えします。

4色の紙の旗は、魔除けを表し、上から

緑 : 天の恵み
黄 : 地の恵み
赤 : 風の害を防ぐ
紫 : 水の害を防ぐ

白 : 土の恵みを加えて5色の旗を奉納するところもあります。

終わりに : 初午は、お稲荷さんを探しながら三島の街を散策しよう

三島は、歴史との深いつながりが垣間みれるとても散策しがいのある街です。

今回は、ふるさとガイドの会主催の新春開運初午ツアーに参加してきたのでご紹介しました。

新たな発見もたくさんあり、ご利益も受けたとても楽しいツアーでした。

ツアーに参加しなくても天気の良い日は三島の街を散策してみてはいかがでしょうか。

皆さんの参考になれば幸いです★

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